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貸したぶどう園の収穫のたとえ  年間第27主日A年

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  【預言者イザヤ】
  原画: ラファエロ・サンティ 
(ローマのサン・タゴスティーノ聖堂の本堂の左側三番目の柱)










わたしは歌おう、わたしの愛する者のために、
                          そのぶどう畑の愛の歌を。
  わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。
  よく耕し石を除き、良いぶどうを植えた。
  その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
  良いぶどうが実るのを待った。

   しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。

                     <イザヤ5-1~2>

(; ̄- ̄) 第1朗読が、ここまで読んで ボトッと。3年おきに、ひっかかってしまう私って・・・。
A年は3年置きにやってきます・・・カトリックのミサではA年、B年、C年に分けた「聖書と典礼」という印刷物を同じ日に同じ内容で世界中のカトリックミサで使用しています・・・昨日与ったミサで、信仰薄きわたくしは、またもやここで足踏みふみふみ。同じところで3年置きにひっかかってりゃ~世話ないですが、いつ乗り越えてくれるのだろう、己の未熟さに”(;;、)涙。

私は・・・
 自分に与えられた責任を果たしているでしょうか。
 日々、毎日の生活をクリスチャンとして生活しているでしょうか。
 求められていることに、応えられているでしょうか。

昨日はフィリピン人の司祭でした(共同司牧なので司祭はローテーション)
「・・・日曜日だけの信者にはならないで下さい・・・普通の日にクリスチャンとして積み重ねた信仰を抱えて日曜日に教会へ来てください。そして日曜日に新たに与えたれたものを、ぜひ 感じ取ってそれぞれの生活へと戻っていって欲しい」と説教で話されました。
グサリと胸に刺さったキーワードでした。


さて、そろそろ寒い季節がやってきます。
教会委員会でも、クリスマス準備の議題がではじめました。
神父様方は黙想会の準備へと忙しくなります・・・

「黙想会」といえば、信者にとっては、今は昔と比べて随分と簡単になってしまいました。
このクリスマスが近づくという季節は・・・子供の頃の私にとっては、日々「憂鬱」。
それはまもなく、そしてもれなく、「あれ・・・」がやってくる・・・

あれ?は何か、といえば「告解(こっかい)」です。
告解とは、カトリック7つの秘蹟のうちの1つ「ゆるしの秘蹟」・・・それはいわゆる懺悔です。(今は回心といいます)
「懺悔の値打ちもない」というタイトルの歌が昔ありましたが、それは神がお決めになること。初聖体(8歳以上)を受けたからには、子どもであろうとも自分の犯した罪を告白するのです。
これは教会法(カトリック)で定めてある、信者の義務なのです・・・と。しかし、ある方はいわれた「義務ではありません、信者の権利です、†神に感謝!」・・・今聞けば何という有難いお言葉。それが、ただ者ではなかった当時の私には「ま~た、また何のこっちゃ?(゚_。)?(。_゚)?」
叩けよ!さらば開かれん・・・ 叩いたらもっと分厚い扉がその奥に・・・・・・あるじゃない~
とにかくこの時期になると、目前に迫る「告解部屋への重い扉」。
おぉ~神よ!今年もここをクリア出来るか否かの正念場、私にもぜひ大いなる勇気をお与えたまえ!アーメン。・・・となるのでした。。。
(また、つづく)

【皆さまに感謝】
 自分の過去を振り返りながら、蛇行する信仰の軌跡(爆)を告白しようと思い立ち、このカテゴリーを作りましたが、書けば書くほど掲載できそうも無い内容でなかなか投稿が進みません。前回、たくさんの励ましのコメントを頂きましたが、今後もゆっくりのペースでカキコキしていこうと思いますので、これからもお耳汚し、お目目汚しでございましょうが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。m(__)m ・・・
by madorudo | 2005-10-03 10:01 | 私の信仰・・・つれづれ
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