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いらっしゃいませ~

        ようこそ! です(⌒▽⌒)
       いらっしゃいませ~_e0044613_1143214.gif 日2005年の夏から
日常の雑多なドタバタ劇を公開しております。
   時にserious風なこともありますが・・・
  我慢が可能な限り・・・遊んでいってくださいまし。

   非公開コメントも入れられますよ。 x印で削除も自由ですよ。              

       ブログ管理人:マドレーヌ (^^♪イヒ
                    バナー製作:shigepi兄さん
       よく放置自転車状態になっています、ごめんなさい。
# by madorudo | 2010-12-30 00:00

台北

私の実家の父は生後1歳で家族と共に台北に渡りました。

祖父(父の父)が、台北の子女教育の仕事に就いたためです。
父は、幼稚園~大学までを台北で過ごし、戦時下の召集も台湾でした。

戦後、引き揚げての一家は苦労したことだろうと思います。
父の青春はほとんどが台北であったということから、何度も訪問を望んでおりました。
チャンスは何度もあったのに、忙しいためにとうとう、引き揚げから一度も訪問を実現させていないことが、本人も私も気になっておりました。

昨年、88歳となった父は、少々健忘症気味ですが、昔のことは良く思い出します。
そこへ、丁度 今回 台北行きのチャンスが到来し、やっと行く気になった父ですが.....。

先日、実家の母から電話があり
「お父さん一人では、とてもグループの方に世話をかけすぎるので、あなた一緒に行ってやって欲しいのよ」というのです。母も高齢ですし、当然そう来る予感はしておりましたが........。


私は.........台北の治安はどうか? とか
     夜の外出は大丈夫か? とか
     デング熱・マラリヤなどの熱帯地病は? とか
     食事はたべられるのか? などなど。。。。。。。。。。。。。山のように心配が出てきました。

    第一、父は「冒険好き」で「方向音痴」で高齢者特有の「健忘症」だし.......

        いかがしたものかと困っております。

  
# by madorudo | 2010-03-07 18:33 | たびたび・・・旅

母の教え(3)

  私の母は、面白い(^◇^)

 ついに「実家ネタ!」の連続シリーズとなってしまいました。

 今日、私の職場へ久しぶりでやって来た人物がいます。
 稀に電話で話す事もありますが、ほとんどは賀状のやり取りだけでお互いの近況がわかっています。
 元々の出会いは遡ること云十年、私が中学生の頃の「とある、恩師」のA先生。
 当時は一匹狼で、恐かったけれども本当は心に厚みのある魅力的な人柄で、今も細々と交流は続いています。

 「よっ! お前、元気しとるか?」
 「おやぁ~!! A先生!!!」
  
  お互いの近況を話しているうちに・・・私の実家の母の話題になりました...。
  「そういやぁ、お前さんのお母さんは? どうしとる? 元気か?」


 ******************

  私の母は、面白い(^◇^)
  A先生と今日会ったので、どうしても思い出してしまう母のエピソードを書かずにはいられません。それは私の中学時代にまで遡ります。

   私は、中学校では部活が「ダンス部」でした(...赤面(^^ゞ)
   テニス部に入るつもりが、なぜかダンス部に入って3年間を過ごしました。

   そして、授業に組み込まれている選択制のクラブ活動は「拳法クラブ」だったのです(^^ゞ
 拳法クラブは英語のY先生が「少〇寺拳法」を学校で教えていましたが、公立学校なので「少〇寺」の名称もロゴも使わずに行われていました。

 運動系部活は朝練がありますが、ダンス部は放課後のみでした。その代わり、拳法クラブは希望者に朝練をさせてくれましたから、早朝は学校で拳法、放課後はダンス...という中学生活でした。

 格闘技にハマリに嵌った私は、少〇寺拳法の支部(当時は道院と呼んでいた)を電話帳で探して、本格的に入門してしまったのです。一般社会人の男性ばかりの中で、女子は私一人だけでした。。。

 日々、格闘技とダンスの両立で体中がアザだらけの女子中学生でした(⌒▽⌒)
 帯も白色から茶帯になり、目指すは黒帯・・・

   そんなある日のこと・・・
 学校から帰宅すると、満面の笑顔の母が私に
 「今日、お母さんも道院へ行くから~~!」
 「あっそう(参観日か?)」と軽く受け流して、夕食を摂ると道衣を持って出かけました。
いつものように道院に入ると着替えて、整列・合掌・着座・鎮魂・誓句・受身・剛法演武・組手柔法・乱取・整法とそれぞれのレベルに合わせた練習が始まります。

 その鎮魂が終わって目を開けた私はщ(゚Д゚щ) 仰天しました。
な、な、なんと! 道衣をまとって白帯を締めた母が…
そこに (>_<) 立っているっつーの!
   うじょでじょ~
 すかさず近寄り 「なんで!(――゛)」
 母 「だから、来るって言ったじゃない(^^)ニコニコ」
 私 「・・・・・(ありえない)・・・・(絶句)」

それからというもの、母は
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナ・・・「笑顔(^^)」で道院へ通ったのです。

東洋医学にとことん傾倒していた母は、少〇寺拳法の「整法」に強い関心を持ち、入門したのだと後にいいます。

 今、当時を振り返ってみても・・・不思議なことが1つあります。
それは、思春期の私が自分で築いた世界に、予告なく親が侵入してきた事への怒りや羞恥心が全く無かったこと。今、考えても、当時の道院の中での母に対しては、私は全く「身内」という感情が湧いてこなかったのです。不思議でした。
 
 それを唯一、理解できるとするならば・・・それは、母の「熱き心」がゆえの「前向きな姿」を私は見ていたからではないのだろうかなぁ~と、思うのです。
前しか見ずに、口数少なく、目的に向かって突き進む母に対して、恥ずかしいからやめてなどとは1度も思ったことはありません。意思の強いひとりの女性として、母のことを見ていたのだと思います。


    **************

 話は最初に戻って。今日、職場に現れたA先生は拳法六段で支部を持って今も現役で活躍しています。 懐かしい母の話に及んで「A先生、私の健康増進とダイエットを兼ねて、受身無しの柔法だけを習いに行っても良いですか?」と尋ねると・・・A先生「アホ。何年のブランクなんや? 身体を壊すからやめとけ!」と再入門をあっさり一蹴りされてしまいました(⌒▽⌒)
 

# by madorudo | 2010-02-02 00:17 | 家族の話・・・いろいろ

母の教え(2)

 私の母は、面白い(^◇^)

 私の母の家系は元々「日蓮宗」である。
したがって母方の祖母が亡くなった時は日蓮宗のお寺さんにお願いした。
菩提寺もそこにあるから、当然 先祖代々の墓所もそこにある。これ、日本の常識。
(まぁ、最近は霊園を利用する家も多いが・・・)

 ところが、母は若い頃に「小さきテレジア」の生涯を本で読み、カトリック教会で洗礼を受けた。
そのいきさつの詳細は、何度か聞いたが・・・忘れた^_^;すまん。
したがって、母のクリスチャンネームはテレジア。

 やがて、父と巡り合い~結婚するが、これまた父方は曽祖父の代からのプロテスタントだった。
だが、父方の祖母は「金光教」で神道をこよなく愛していた(^◇^)
まぁ、本人同士はお互いがクリスチャンということで特に問題もない、生活に支障もない。

 そして、私を含め3人の子どもに恵まれて、それぞれを母は生まれてすぐにカトリックで幼児洗礼を受けさせた。
姉と私のクリスチャンネームは「マリア」で女性では特に珍しくない。
兄も「洗礼者ヨハネ」と、まぁ多数派。
 (余談ですが・・・洗礼者ヨハネはイエス・キリストに洗礼を授けたお方のこと)

 そんなこんなで、仏教、神道、カトリック、プロテスタントと一つ屋根の下で宗教的には実にややこしいクオーターが成り立った。
しかし、わが道を歩む母の、信仰への真っ直ぐさは一家の中でも抜きん出ており、それはお見事である。が、だ!
私が幼稚園に入る年齢になると、母は面白い行動を取った。
なんと! 私を仏教系の幼稚園に入園させたのである。。。おもろい。どう考えてもオモロイ。

そこの幼稚園は自宅からは遠いがスクールバスが送迎してくれる。
丁度、同じ方向の同じ距離にもカトリックの幼稚園があり、そこもスクールバスが送迎してくれるのに・・・なぜ? なぜ、なぜ?

幼稚園の2年間を、私は袈裟を羽織って木魚を叩く園長先生と毎日を過ごし、日曜日には欧州人の神父さまと日曜学校を過ごす、というスタイルで育ったのである。
   ・・・おもろ過ぎる(^◇^)

 母に、そうさせたには何かの意図があるのか?と尋ねると、
「さぁ、どうだったかしら~ よく憶えていない」という、が確かに意図はあった。母は前進あるのみ、過去は一切振り返らない人間であるからして、「憶えていない...」は事実なのだと今は思う。

 そして、わが家は クリスマスに教会に行き、除夜の鐘を慈しみ、初詣を喜ぶ過程を楽しんだ・・・のは私と母だけで、父・姉・兄・祖母らは皆それぞれの思いで過ごしていた(^◇^)ようだ。
 母は、静かに確かに突き進むタイプ。
 父は、足踏みしてでも拘り、停滞してでも完璧を主義とするタイプ。

今も忘れないこんなエピソードがある。
カレー事件とでも呼びたい。

祖母らは、毎週金曜日=海軍さんのカレー・・・を作るのが好き!
父も子どももカレーは好き! ψ(^◇^)問題ないね。
だが、金曜日はカトリックの小斉の曜日で磔刑にかかったイエス・キリストのことを想い、世界の病や貧困で命を落とす人々のことも想い「肉」を食さない、とされる!
したがって、母の鶴の一声にて、

わが家の金曜日
夕飯=楽しみなカレー=肉無し!
  щ(゚Д゚щ) うじょでじょ~


みたいな週末になるのであった。
「婆ちゃん、お願いだから金曜日にカレーを作るのをやめようよぅ」と懇願した覚えもある。

 今も私はカレーを作るたびに、あの頃を思い出しては(*´艸`)ニヤニヤしてします。
なるべく、金曜日にはこしらえないようにしようと思ってしまうのもトラウマであろうか?

 

# by madorudo | 2010-01-22 16:00 | 家族の話・・・いろいろ

母の教え(1)

 私の母は面白い(⌒▽⌒)

 特に冗談を言うわけでも、サービス精神があるわけでも無いのに。
 私の母は真っ直ぐ素直に生きているだけが・・・見ていて面白い。

 人との深い関わりを持たず、一人でコツコツと思った道を進む。
 家族にも同様である。

 先日は「父の年賀状」と題して2回連続のネタを書いたので、
今回は母をネタにしよう!
(*´艸`)ぷぷ

 「父の年賀状」ネタでも書いたように私の父は、人との関わりに拘る。
その関わり方にも拘るゆえに、毎年のあの年賀状騒動を懲りもせず毎年、繰り返している。

 それが、母は全く逆・・・^_^;なのである。
 生真面目なためにブラックジョークはまず通用しない。
怒りはしないが必ずたしなめられる。
 「子どもの常識」など全く通用しない! 目線は常に大人の位置から決してブレなどしない。
 必要以上に人とは関わらず、拘らない。
 それが、ひとたび! 自身の関心事に「火」がつくと手の付け様もなく真っ直ぐに探求開始、脇目もふらず、ひたすら没頭の世界へと走り始める母である。


   あの父と、この母のいる家庭で育った私たち3人姉兄妹の頼みの綱は、
つまり生命線は、今は亡き二人の婆ちゃんの存在だった、と今でも深く感謝している
(^◇^)ありがとうございます。

  母は、「武家の出の末裔」という・・・真相は至って不明(-"-)
  母は、「公務員たる者の妻は武士の妻と同じである」という・・・わからなくもない(-"-)
  母は、「わが主、わがすべて」という・・・信仰上の問題である(-"-)

 私が子どもの頃に、姉フッ子や兄ヒデ坊とは、どーも性格の違うヤンチャな末娘の私の将来を按じて、事あるごとに箴言、格言、論語などで諭してきた。

  玄関で靴を脱ぐ瞬間に、「脚下照顧!」
  路上を歩いていても、「他人のふり見て我がふり直せ!」
  泣いて帰ると、「君子危うきに近寄らず!」
  外で遊んでばかりいると、「文武両道!」
  マンガを読んでいると、「少年老い易く学成りがたし!」
  手伝いをせずにいると、「義をみてなさざるは勇なきなり!」
  屁理屈でのがれれば、「巧言令色鮮し仁!」
  
  その他 「為せば成 為せねば成らぬ何事も!!」
      「後悔 先に立たず!」
      「われ日に三たびわが身を省みる!」
      「目は口ほどにもの言う!」
      「論より証拠!」
      「朝に道を聞いて夕に死すとも可なり!」
      「狭き門より入れ!」
      「光陰矢の如し 身命は露よりも脆し!」
      「一寸の光陰 軽んずべからず!」 

   その他、盛り盛りだくさん!
私の近くで、しかも絶妙なタイミングでその場にピッタリの格言、箴言、論語が口から飛び出す。
意味を聞いても特に解説はしない。必要なことは今言った、とばかりに黙って去る母。
   そんな母が・・・面白~い(⌒▽⌒)
   
 これは、私の母の「武士道教育」であったのであろうか?
 現在、82歳になる母は健在。なおもって口を突いて出る。
 
 似たようなことを、私は息子のPin君にも言っている時がある。
 
 ただ、母のようにあっさりとはできない。
 私の体内に宿る、あの父のDNAが私を拘りの世界へと誘うのです。
   

 失敗とは・・・
開拓の精神を忘れ、困難に挑戦する事を忘れた者たちの言い訳です。
 

 う~む、困難だ。


# by madorudo | 2010-01-21 14:55 | 家族の話・・・いろいろ