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今日から

今日から学校・・・

以前なら、「明日から2学期」というところですが、昨年度からPin君の学校は1年を前期と後期に分けた2学期制となって、夏休みは8月30日までで、31日からが登校です。
始業式があるわけでもなく、普通に授業が始り、給食もある。。。

なんだか、これでは子どもの気持ちがシャキッとしませんよね。大人だって切り替わらないのに。
それを踏まえて、夏休みは規則正しく生活することを重点的に学校からも指導がありましたが・・・あの長い休みを親も子もどのようにコントロールすれば、休み明けに、すんなりと授業、勉強に励めるのか! そこのところを是非ぜひ一つ、お手本を見せてほしいものだ。

プールも夏休み前にプール納めが済んでるし、運動会だって春に終わらせてる学校も多いし、
そのうち、進・入学式も10月にしよう!と言い出すのでしょう?わかってますってば。

 あ~ 夏休みが終わると清々するかと思ったけど・・・何だかとっても寂しいですぅ。

 私は・・・1週間ほど前から動悸がするし。またまた自律神経がくるったのかもしれません。もしかしたら心臓疾患! もぐら叩きのゲームオーバー寸前状態。あ~悩みは尽きませぬ。

 今からゆっくり出勤です(今日まで許されてる)行ってきます~。
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by madorudo | 2007-08-31 11:21 | マドレーヌ家の・・・出来事

SO君

学校は違うけど、4年生の頃からPin君と一緒によく遊んでいたSo君。
5年生になっても変わらず仲良しで、今年の夏休みはNa君も、Wa君も一緒に仲良し4人組で毎日遊んでいたんだよね。
夏休みに入っても、ほとんど毎日を一緒に過ごしていたよね・・・4人で・・・。

なのに、なのに。
お盆が明けて、またみんなで会えると思っていたのに・・・
So君だけ、一人でいってしまった。

8月13日の朝7時
So君は小児ガンだった。
あんなに元気に見えたけど、本当は治療もつらかったんだね、きっと。
でも、そんなことは、ひと言もいわなかったSo君。

駅ビルのエレベーターでばったり出会ったときも、扉が開くと、
「お先に、どーぞ」と丁寧にレディーファーストしてくれたSo君のこと。
ハキハキとしていて、しっかり者で、優しくて・・・忘れないわよ。

Ma先生はみんなに言ったらしい。
「So君の分まで頑張ろう!と思わなくても良い。けれども、君たちは自分の人生を一日一日大切に生きなさい、『一日一生』と思って頑張って生きなさい!!」

So君へ
Pin君と仲良くしてくれてありがとうございます。
今も仲良し4人組はそのままだよ。
だって、Pin君も私もSo君のことを忘れないから。
Pin君と私はふたりで誓ったんだもの、So君のことを時々思い出して話そうねって。だから、So君もNa君もWa君もPin君も~これから先、ずーっとずっと仲良しだよ。
So君との思い出の夏休みはもうすぐ終わるけれど、So君との思い出は忘れない。

 So君、本当にありがとう、ゆっくり休んでね。



 時に、聖書の中の御言葉にどれほどの救いがあるのかを見出せないほどの、受け入れ難い現実を突きつけられる時がある。
どう、乗り越えればよいのかわからなくなる時がある。

 Pin君、もし岐路に立ったなら、決してあせってはいけませんよ。あわてず、無理せず、ゆっくりと、その時が来るまで待ちなさい。その時は必ずやってきて、どんなにむずかしい事であろうとも、そこから進むべき道をPin君の前に照らし出してくれます。
だから、頑張り過ぎるな、無理するな。
おじいちゃんも、
おばあちゃんも、
父さんも、
母さんも、
みんなも、そうやって生きてきたんだからね。
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by madorudo | 2007-08-26 16:25 | 5年・・・Pin君

私信・・・B・ポトスⅢ世

親愛なる Fr.Bさま

 遠く離れているのに、忘れずにいつもメールをありがとうございます。
わたしは元気でいます。

おぼえていますか? 
あの時、わたしの為に運んで来てくれた「ポトス」ですよ。
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そう、わたしが病院のベッドで起き上がることも、食事もできず、苦しんでいた時に、あなたは毎日ホスチアを運んでくださった・・・。やがて高熱と吐き気に24時間襲われ、水も飲めなくなって眠ることもできず、ホスチアさえもノドを通らなくなってしまい、ただ、ベッドに寝ているだけの日々が長くつづいて、点滴だけで生かされていた時。
そんなある日、枕元にそっと置いてくださった、あの「ポトス」です(⌒▽⌒)
「ポトスの強い生命力を信じて・・・」と持ってきてくださった。あの日のことは忘れません。
あれから10年近くなります。「ポトス」は、根を分けて3代目となりましたが、あの頃と変わることなくすくすくと丈夫に育っています。
そして、このポトスは、あなたの名前をそのまま頂いて「Fr.B・ポトス」という名前を付けました。今は「Fr.B・ポトスⅢ世」です(⌒▽⌒)
わたしの友人たちの所へも根を分けてたくさん届いています。

Fr.B様メールをいただくたびに、会いに飛んで行きたいといつも思います、でも、あなたの住んでいるところはとても遠くて・・・だから、「ポトス」をFr.B様だと思って毎日、お世話しています。
遠く離れた日本でもたくさんの人びとが、いつもあなたを慕っているということをお知らせしたくてね、この元気な「ポトス」を見ていただきたかったのですよ。
そして、改めて、恵みに感謝です。

ありがとう!

\ ( * ⌒ ▽ ⌒ * ) /


          From C
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by madorudo | 2007-08-20 21:41 | 私の信仰・・・つれづれ

食欲の秋(1)鈴虫さんとシュークリーム

ご近所のクリーニング店さんのおばあちゃんから頂いた「鈴虫さま」が・・・鳴きはじめました(^^♪
Pin君は、せっせとお世話をしていたので「今日は2匹」「今日は4匹かな」と鳴いている鈴虫の数を教えてくれます、嬉しいんだろうなぁ~。
イヒ(^^♪ 暦のうえでは秋・・・食欲の「秋」

  この連日の猛暑では・・・食欲も減退しますが、
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美味しくいただきました!  
この 虎屋の
シュークリーム!!!
ψ(^◇^)


「たこ焼き」にしか見えんわ(゚∀゚∀゚∀゚∀゚∀゚∀゚)ァヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
お味は・・・シュークリームでございましたですぅ。。。

なんでも開発のきっかけは「夜食で食べた「たこ焼き」がシュークリームに見えた瞬間に思いつきました」とのこと。。。こういうのが発想の転換ですわよね。
私のような凡人は「たこ焼き」はたこ焼きにしか見えません。このシュークリームも「たこ焼き」にしか見えませんわよ!食べながら・・・シュークリーム味の「たこ焼き」を食べている気分でいましたので重症ですから。一度、「たこ焼き」のイメージを刷り込まれた私の脳は書き換えが困難。ですから、・・・この逆のたこ焼き味の「シュークリーム」は想像するに怖ろしく、食べたくないかも・・・。

手品のトリックにあっさりとひっかかり、騙し絵にコロッとだまされる・・・
人間の脳の弱点を逆手に取ったお遊び。
トロンプ=ルイユというジャンルがあって、“だまし絵”の条件は、本物そっくりの写実性と迫真性。しかし単に精密なだけではありません。画家のレトリックを受け入れることで楽しみを得る、非常に繊細なゲームなのです。
それとは少しジャンルは違うかも知れませんが、そのまんま、料理職人さんの腕にかかると・・・まさに芸術!

味覚と視覚が大混乱 
 広島・虎屋 「元祖 本物そっくり!スイーツシリーズ」 
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by madorudo | 2007-08-18 08:03 | マドレーヌ家の・・・出来事

62年目の終戦記念日

 私の母は昭和2年生まれで、今も元気でいます。
母は昔から口数が少ないので、昔話は父のようにはたくさんは話しません。いつも前だけを向いて黙々と歩むタイプなので、過ぎた過去の出来事にはたいして関心がないようにみえます。
 先日、息子のPin君が「おばあちゃんって、昔、戦争の頃にアメリカの飛行機に乗っていたパイロットと目が合ったことがあるんだって!」と言いました。
 私は、そんな話を母からは一度も聞いた覚えがなかったのです。でも、急に私が小学生の頃のことを思い出してしまいました。。。

 確か、私が小学校3年生の時、学年本雑誌に、野坂昭如さん原作「火垂るの墓」の漫画が付録で1冊ついていたのです。(文芸春秋に掲載された直後だったのでしょう、実家にあるはずなのですが見つかりません・・・あればきっとお宝なのですが)

 当時、小3の私は「火垂るの墓」を読み終えて・・・丁度、帰宅した母に見せました。母は、さらさらと瞬く間に読み終え・・・大粒の涙をたくさんこぼしたのです。それまで、泣いた母を見たことがなかったのでショックでした。当時、私は幼かったので、大人は「感動」というもので泣くことがあるらしい・・・と知っていましたが、母のその涙はどうもそうではなさそうだと感じました。あの日、漫画「火垂るの墓」を読んだ母は「昔はみんなこうだったからね、思い出したわ」と確かに言い涙を拭いたのでした。

 私は、Pin君の話で、あの日の母とのことを思い出したのです。

 先日、母に初めてたずねてみました、戦時中の思い出を。滅多に昔話をしない母でしたが・・・。

 母は昭和20年~21年当時、神戸で理系の専門学校の寮にいました。2年の飛び級をしていていたので18、19歳頃だそうです。

 母の述懐によるとこうです、
「神戸は空襲が多かったと思う。アメリカの爆撃機が焼夷弾を落としに来ると、その直後に決まって小型の敵機で機銃掃射がやってくる。焼夷弾が落ちてくるのを下から見ていると、全部自分のところへ落ちてくるように見えたし、機銃掃射はどこから撃ってくるか予想がつかなくて怖かったわ。・・・学校の寮は小高い丘の上にあったから狙われたのは丘の下の民家が集まっているところあたりでね、まず焼夷弾で先に火を放っておいて、次に焼け出されて逃げ惑う人たちを狙って、今度は機銃掃射が攻撃してくるわけよ。 学校はもうその頃には授業なんて無かったから、毎日ご奉仕に出るのに丘を下ってみんなで行くのね、炊き出しの「おむすび」を作りに。それがアツアツ炊き立ての熱いご飯を素手で大きなおむすびにするものだから、もう手のひらの皮は赤剥けて熱くて痛くて、涙をこぼしながらおむすびを作るけど・・・でも、そのご奉仕をすると最後に報酬としておむすび3つももらえるの。配給は一人2つづつだけど、おむすびを握るご奉仕隊は最後に必ず3つもらえるから、もう一生懸命にするのね。たった3つのおむすびが、当時の人にとってどれほどのご褒美であったかわかる? みんな何も食べる物が無い時代だったということがどれだけつらいか想像できる?」

「・・・ある時、天皇陛下の御為に奉安殿を作ることになって、下に敷くための「さざれ石」を河原へ取りにバケツを持って同級生と3人で行ったの。河原だから人里離れていて空襲警報が聞こえなかったわけよ。小石を拾ってしゃがみ込んでいて、丁度、私が立ち上がった瞬間、ピョンって真正面から小型の飛行機がこっちへ向かってきて。「あっ」て思う間に真上に跳ね上がって遠くへ消えたの。そのときのアメリカの飛行機のパイロットと目が合った・・・私の立っていた場所は背中側に大きな岩がそそり立っていたから、飛行機はよけたと思うけど、そうでなかったら撃たれていたかもしれない。急いで学校まで戻ったら、上級生はみんな防空壕へ逃げていて誰一人いなくてね、空襲警報を知らなかったのは私たち3人だけだったわけ。こわかったけど、もっと恐ろしい思いをしたからね。」

「学校の寮から敵機が来るのを見ていたら、味方の高射砲で下から攻撃しているのが見えるんだけれど、1発も当たらない。あの時くらいしゃくにさわった事はなかったわ。敵機は悠然と爆弾を落として行って、下からいくら大砲を撃っても敵機のはるか下で届かないから、1発くらい当たれば良いのに忌々しい!とあの時は心からそう思ったものよ。でも、とうとう最後まで1発も当たらなかったわ、1発も・・・」

「でも、あの日のことは今も忘れられないわ。いつものように焼夷弾と機銃掃射が行ったあと、私たち学生は、またその日もおむすびを作りに丘を下って、林の小路をかけって下りていたら・・・小路沿いにポツン、ポツン、ポツン、ポツンと、幾人もの人が小路に倒れていて・・・私が駆け寄った男の子は背格好からして15、16歳ころの男の子で、うつ伏せに倒れていて・・・背中の肩甲骨が両方とも弾け飛んでいたのよ。機銃掃射だったわ。・・・しっかりしてって抱き起こしたら、目は開いていたけど、意識はほとんどなくてね、しばらくすると「お母ぁ・さん・・・・」って言って、私の抱える腕の中で息を引き取った・・・私はあの日の、あの男の子のうつろな目と顔を生涯わすれられない。」

「やがて、終戦を迎えて・・・アメリカ軍の支給で学生さんには一人1缶ずつ、といって配られたピーナツバター。わずかなパンにちょっとだけつけて食べてみたあの時のあの味は忘れられない、美味しかった・・・。敵はこんなものを食べていたんだなぁ~とおもいながら。」

 時流とはいえ、まさに戦争は驚異です。善良な人々から真っ先に犠牲となる。母のようなごくごく普通の女学生でさえ、弾が当たらず敵機が落ちてこない事を忌々しい、と本気で思わせた事が私には衝撃でした。

今日、62回目の終戦記念日(敗戦記念日!)を迎えて、
今年も「平和の鐘」をつきに出かけてきました。
今年は母も一緒でした。

     どうか、世界が平和になりますように・・・。

昨年の今日の記事はコチラ→ 「61年目の終戦記念日」

≪響け、ピース 平和の鐘を鳴らそう≫
2007年8月15日、この日倉敷の地に響かせる鐘の音が、さきの大戦の悲運に失われた多数の人びとのいのちに手向ける、慰霊と鎮魂の響きになりますように。そしてそれゆえにまた、世界平和への私たちの悲願を込めた、久遠の響きともなりえますように。
                    [倉敷ユネスコ協会会長 小野謙二]


戦争体験者の証言→ 「語りつぎたい3000万人の戦争体験」

風化させてはいけない記録→NHK「平和アーカイブス」

忘れてはいけない真実がここにある「NHK特集」←目をそむけないで!

「そしてトンキーもしんだ 子が父からきくせんそうどう話」 
1982年8月13日初回放送

わたしたちは真相を知らずに戦場へ出て行きました・・・
「ひめゆり平和祈念資料館」
      
絵日記による学童疎開600日の記録      
  ・・・ 10月24日(火) 晴 5年女子
  朝 とても寒かったので、畠のまんなかにへお椅子を持って行って日向ぼっこをした。とてもあたたかくてよい所だ。午後から防空えん習をした。防空ごうの入る所をきめた。喜門先生は、「ここがみんなの死にばしょだ。ここをはかばだと思っていなさい」とおっしゃた。・・・

  ・・・  1月10日(水) 晴 4年女子
  朝 先生におねがいして昨日落ちたB29の飛行機を見に行った。とても遠い。やっと着いた。主翼が土の中にめりこんでいた。先生が 「これはだいぶ新しい」とおっしゃった。それから次のところへ行きました。大きなたんぐつ(短靴)や、メリケンやろうの丸こげのがあった。とてもゆかいだった。あまりアメリカ人が大きなくつをはくのでびっくりした。


 今こそ、平和を
       誰に伝えなければいけないのか、
                      よくわかりますよね!

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by madorudo | 2007-08-15 17:35 | 家族の話・・・いろいろ

聖母マリアの被昇天



そして、今日8月15日は アスンプタ・エスト・マリア 
            (マリアは天に昇らせ給いぬ)・・・
     ~今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう~
                   (新薬聖書/ルカによる福音書1章48節)
 
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     「冠を受けたマリアと幼子イエス」 
       テンプル騎士団のミサ典礼書 14世紀/バチカン図書館所蔵
             カトリック聖書と典礼2007
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by madorudo | 2007-08-13 18:55 | 私の信仰・・・つれづれ

広島「原爆の火」

   午前8時15分。
 テレビで実況を見ながら、息子のPin君と二人で、平和の鐘の音とともに黙祷させていただきました。夫のバーリンは出勤途中の車の中でラジオ放送を聴きながら、こころで黙祷を捧げました。

 Pin君は昨年5月に右腕を骨折し不自由な経験をした直後の7月に「平和のバス」に参加して広島入りして以来、「原爆」「戦争」に強い関心を抱いています。
 今日、62年前に広島に原爆が投下されました。広島の平和記念公園での式典が生中継されちます。Pin君は今日一日中NHKに釘づけでした。終戦記念日が近くなると日増しに戦争に関する番組が増えるので、朝、起きると新聞の番組欄に見たい番組をマーカーで印しています。

 私は、今朝のNHKで「原爆の火」のことを初めて知りまして、Pin君と顔を見合わせて驚きましたのでここに書き留めます。

 「原爆の火」・・・1945年8月6日広島に投下された原爆によって発生した建物火災の炎。その火を手持ちのカイロに移して持ち帰り、福岡県八女郡星野村の自宅で59年間燃やし続けていた人がいました。山本達雄さんは、原爆投下後の広島で伯父を探しましたが骨一つ見つけることができなかったため、燃えていた倉庫の火をせめてもの伯父の供養にと大切に持ち帰り、母親が火鉢に移して以来、一日も絶やす事無く燃やし続けていたそうです。
 この「原爆の火」はやがて「平和の塔」に分火されて、62年たった今も燃え続けているのです。あの日を忘れないために・・・。
 願わくは「核兵器廃絶の日」が一日も早く訪れますように・・・。


    「広島原爆資料館 バーチャル・ミュージアム」 ←クリック

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↑去年の「平和のバス」にて学校の皆が折った千羽鶴を持って広島・平和記念公園の「原爆の子の像」へ向かうPin君。
(腕を負傷のため自分の鶴は糸通しに間に合わなかったが、行きがけのバスで折った鶴2羽を添えて帰ることができた)


 
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by madorudo | 2007-08-06 21:56 | 5年・・・Pin君

かわゆくない「うさぎ」

 またまた、大型台風の接近。
ここ2、3年まえから、わが家は台風によく直撃コースを取られている。

う~ん。今回の2007年台風5号・・・名前は「ウサギ」だピョン(-"-)。。。
息子のPin君が、そう教えてくれたのさ。

名前はかわいいが・・・2006年の14号は「ヤギ」だった・・・2005年22号は「テンビン」・・・
さらに、前にさかのぼると「ワシ」だの「トカゲ」だの・・・そして、さらには「コンパス」「コップ」などと、日本が命名すると笑えるわ(^^)
でも、1940年代の大被害を出した台風「キャサリン」(米国の命名)が言葉の響きも強そうだ。

 今回も、わずかにわが家は反れていますが・・・今、風がとても強い。
TVでは、まだ大きな被害は報道されていませんが、台風の進路にお住まいの方は、くれぐれもご注意くださいませ~。
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by madorudo | 2007-08-02 22:49 | マドレーヌ家の・・・出来事